原江寺は広島県佐伯郡廿日市町洞雲寺(長穂・竜門寺末寺)の末寺である原始院と、原始院の末寺である吸江庵とが合併し、 両寺名の一字ずつを取って「原江寺」と改称した。時は明治四(1871)年、当山の二十二世徹山堅堂和尚の代のことであった。
瑞鹿山原始院は、洞雲寺の四世興雲宗繁大和尚(大永二(1522)年四月九日示寂)により明応五(1496)年開創された。 その建立は大内重清氏が実母の追善菩提を弔うために建立されたという。末庵も七ヶ寺を有し大いに栄えていたようだが、 火災により全焼したため天正七(1579)年に再建され、大内氏の持仏であった愛染明王像(伝弘法大師作)を本尊として安置した。 その後、毛利元就・日頼居士の牌所として栄えたが、明治初年、再度焼失したため、地の利を得ている吸江庵と合併した。 尚、原始院の所在地は久米の秋本にあって、現在の藤井則彦氏宅がその地であった。
洞庭山吸江庵は先述した原始院の末院であり、同院の二世繁翁宗茂大和尚を開山とし天文十五(1546)年に開創された。 本尊は聖観世音菩薩で、毛利輝元はこの観音像に信心深く、輝元没後同庵を御牌所とし、境内地・山林を寄進せられた。 また山号、及び寺号については次の由来が伝えられている。 開山繁翁宗茂和尚が、この地を散策していた時、東西には松が茂って松声高く、南を望めば海波遠く望み沖を島に囲まれた徳山湾が、 あたかも支那の洞庭湖のごときであり、その眺望は洞庭湖上の吸江亭のそれに似ているところから、山号を洞庭山、寺名を吸江庵としたという。
今こそ徳山湾も埋め立てられ、石油コンビナートが建設されて、その面影はないが昭和初期頃は徳山湾を池に見立てた雄大な借景法の庭であった。 しかし、石油コンビナートの夜景もまた美しく、現在、宗茂和尚がこの景色を見られたら、はたしてどう命名されるであろうか。
尚、毎年九月第三日曜日から秋彼岸明けまで、先述の両寺御本尊である聖観世音菩薩像と愛染明王像を御開帳している。
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〒745-0801 山口県周南市久米3936
JR櫛ヶ浜駅の裏丘。駅を出た線路の反対側に見えるお寺です。
踏切(岩徳線)沿いを櫛ヶ浜駅裏へ走ると駐車場が見えます
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